例えこの身が異形と成り果てたとしても。
熱気と活気にその村は包まれていた。
石を切り出す激しい破砕音と、荷車の軋む音、作業の掛声。忙しなく行き来し働く人々の熱気と、かき出された地下水の放つ熱。
鉱山の村だ。
普通、鉱物の発掘作業には何千と言う人手が必要とされる。岩を切り崩し鉱脈を突き止め、そして掘り出す。単純に鉱物を手に入れるだけでも十分に重労働だが、鉱山という場所で要求される労働は更に大きい。切り崩した岩は運び出した上で始末せねばならず、掘り出した鉱物も加工できるだけの場所まで運ばねばならない。また岩を切り崩せばすんなりと鉱脈に辿りつけるわけではない。時に有害なガスを引き当て、時に地下水脈に行き当たる。火を焚きガスの始末を着け、水もまたかき出さねばならない。そして無論のことながら、岩を切り出すにも岩石を始末するにも、鉱物を運び、火を焚き水をかき出すにもだ、人の手だけでは到底無理だ。見合った道具が必要とされ、そしてその道具もまた運ばねばならない。
その労働は苛酷で、容赦が無い。
しかしこの村はそれを数百の村人だけで賄っていた。女子供を問わず、村人はその苛酷な労働に終始していたのだ。
そしてその事実が、この村に、僅かばかりの平穏を与えていた。
――殲鬼。
世界を征服したその存在にとって、過酷な労働に喘ぐこの村は『わざわざ苦しませるまでもない』と判断されていたのだ。何より鉱山からの恵は殲鬼にとっても不要なものではない。その鉱山の恵を切り出す村を襲うよりも、息を潜め隠れ住んでいる里を発見し、苦しみを撒く方を優先させたとて何の不思議も無い。
実際、過酷な要求に応える為の過酷な労働に彼らは喘いでいた。
いたがしかし、殲鬼による支配が始まって早200年。その村に生まれ育った者にとってその過酷さは『当然のもの』でもあったのだ。
だから世代の変わったその時、その村は僅かばかり平穏だった。
貧富の差など作りようも無く、皆同じく苛酷な労働に終始する。苛酷な労働に、当然のことながら体も強く形作られていく。その体が過酷さを少しだけ緩和させ、そして外界に撒き散らされている生命の危険も、少しばかりではあるが遠い。
過酷な環境であるが故に僅かばかり平穏な鉱山の村。いっそ活気に溢れていると言ってしまってもいいかも知れぬほどに。
その村に、真迫は生まれ落ちた。
その日、真迫は今だヒト族の15を迎えたばかりの少女に過ぎなかった。
村は夜通しの作業は行わない。鉱脈への山道にどうしても難儀する為だ。陽のあるうちに出来るだけの作業をしてしまう。
よって村の朝は早い。日の出前に起き出し朝餉を済ませ、日の出と同時に村人一丸となって鉱脈へと向かうのだ。妊婦や老人など例外もあるが、概ね村人は朝から晩まで一緒に行動するのである。
パタパタと走って真迫が集合場所に向かうとそこには既に見知った顔が軒並み揃っていた。
「遅い!」
組頭からお小言を貰って真迫はぺろっと舌を出して見せた。組頭にしたところで本気で怒っているわけではない。やれやれと肩を竦め、道具の検分を始める。その輪に真迫もすかさず混じりこんだ。
「寝坊か?」
同い年の少年に問われ、真迫は「まあね」と短く答えた。少し目が腫れぼったい。
「もー、おじさんたちしつっこいんだもの」
あっけらかんと言われたその言葉に、普通なら周囲は硬直する所である。何しろ真迫は15にしかならない。その小娘がまるで客でも取っているような言い草だ。
だが誰も驚きもしない。納得するような揶揄するような微妙な笑いが広がるばかりだ。
「まあまあ許してやんなよ」
「真迫ちゃんが居ないと場が盛り上がらないんだからさ」
口々に言われて、真迫はきゅんと柳眉を跳ね上げた。
「だから! しつっこくなければ私だって構わないわよ。寝なきゃ起きられないんだから私は」
だから暫くヤダ。
きっぱりと言い切る真迫に、幾人かが大げさな溜息を吐いて見せた。
酌婦と客の会話のようだがそうではない。真迫は時折請われては、晩酌の席で三味線を爪弾いて唄っているのだ。その腕も声も、そこらの鈍ら芸人の物より余程優れている。
そもそもは殲鬼に村を焼かれこの鉱山の村に逃れてきた楽師が戯れに幾人かの子供達に三味線と唄を仕込んだのが始まりだった。ほとんどの子供達はまともに撥も操れない有様だったが(何しろその楽師はケモノに襲われ既に片腕を失っていたので)、真迫は違った。瞬く間にその楽師の技を吸収し、そして澄んだ声で唄うようになった。その技も唄も、音楽になどとんと縁のなかった村人の耳にも美しく響いたのだ。
片腕を無くしていた楽師は一棹のくたびれた三味線を真迫に譲り、すっかり嬉しくなった村人は事あるごとに真迫に唄と三味線を強請るようになったと言う訳だ。
その腕と声が一流と呼んで良い物である事を知っているのは師である楽師ただ一人だった。楽師はそれを真迫本人にも告げてはいなかった。惜しいとは思ったが、楽で身を立てるにはこの村を出ねばならず、それは高い確率での死を意味したからだ。
だからその日、真迫はただのヒト族の少女に過ぎなかった。
朽ちるしかない才を持っていることも知らず、僅かばかりの平穏をそれと知ることも無く享受しているだけの。
ある意味では幸せな15の少女に過ぎなかったのだ。
轟音が轟いたのは一行が山の中腹に差掛かろうとしたほどのことだった。
弾かれたように全員が振り返った。
鉱山の村とは言っても、何処からガスが噴出してくるかも分からぬような場所にまさか居住区は作れない。山の麓に村はあり、そして見下ろした村は、
――紅。
「村が!」
誰の叫びであったのか、それはわからない。
何が起っているのか、その叫びに真迫は理解した。
村が、燃えている。爆音は起爆の轟音。火の扱いを間違えた程度で起るはずも無い、そして火薬の扱いに慣れ、その恐ろしさも熟知している鉱山の村の人間の起こすはずも無い、
事故ではない爆発。
可能性など他には無い。村が、襲われているのだ。
「……っ!」
反射的に駆け戻ろうとした真迫の襟首を誰がが強引に引き留めた。更に強引にその腕を振り払った真迫は振り返り様に叫んだ。
「なにすんのよ!」
村が、燃えている。襲われている。
今村に残っているのは鉱山事故で腕や足を失った者や妊婦、年寄、幼すぎる子供だけだ。真迫の祖父母も、楽の師もまた村にいる。一刻も早く戻らねばならないと言うこの時に、一体何をしてくれるのか。
更に怒鳴ろうとした真迫はその機会を永遠に失った。
「……逃げろ」
「……な!」
いつも酒の席に自分を呼ぶ陽気な大人達が、見たことも無いほどに厳しい顔でそこに居た。
戻ろうとした子供達は誰もがそうして大人に押し留められていた。10ほどの子供から真迫ほどの、15、6の子供までが。10ほどの年齢から、この村では鉱山の仕事に就くのだ。
切迫した声で男は繰り返した。
「いいか、このまま山を登り切って、坑道を抜けて反対側に出るんだ。……山裾まで下りれればお前達なら何処かへ逃げ込める」
この鉱山で育った子供ならば。
男はそう言った。確かにこの村に生まれ育った子供なら生半な街の男などより余程力も馬力もある。
その鬼気迫るほどの真剣さに真迫は息を飲んだ。
「……でも、村が……それにおじさん達は……」
「俺達は村に戻る」
自分が息を飲む音を真迫ははっきりと聞いた。
そして同時に悟っていた。
これはもう決定事項なのだと。大人たちは村が襲われる以前からそうなった時にどうするのか、その事を決めていたのだ。
真迫の動揺を察したのだろう。男はにっと笑った。
「なぁに心配するな。村が潰される事はねぇよ……ここは鉱山だからな」
殲鬼にとって残すだけの価値のある場所。だがそれは同時に殲鬼の支配を意味している。
子供達だけでもその支配から逃れさせる事を、大人たちは選んでいたのだ。
「行け!」
激しく突き飛ばされ、真迫は悲鳴を上げて地に転がった。身を起こした時最早男は身を翻していた。
「おじさん!」
叫んでも、誰一人として振返る事はなかった。
巌のような決意に、残された子供達の誰もがその後を追うことが出来なかった。
逃亡が始まった。
背後から聞こえてくる破砕音、風に乗って聞こえてしまった悲鳴、それら総てを振り切るように、真迫は同年代の少年達と子供達を先導した。泣き出す子供を励まし、時に抱き上げ、彼らは一丸となって山を走破した。
子供だけとは言え、30にはなろうという大集団は、互いを補い合い、坑道を一路目指した。坑道に辿り着いた時には誰もが口を開く事さえ億劫なほどに疲れ果てていた。普段なら歩いて昇る道を走破したのだ。しかも身の内に重い荷物を抱えたまま。家族を、知人を、共に働いてきた仲間達を、彼らは置いてきたのだ。発達仕切らない子供の心にその悔恨は重すぎた。
坑道は縦横無尽に張り巡らされている。幾度も迷いそうになり、その都度身体で覚えた坑道だ。
何故こんな節操のない掘り方をするのかと不思議に思ったこともあった。だがその意図を、少なくとも年長の子供達は痛いほどに思い知っていた。
これは追っ手を少しでも撹乱する為の迷路なのだ。いくつかの坑道は山の反対側へと抜けている。それだとて本来なら必要のないものなのだ。
それだけの手筈を何も言わないままに大人達は整えていた。その気持ちを無下にする事は出来なかった。
彼らはいくつかの小集団に分かれ坑道へと入った。道程を決め年長者が先導する形で、追っ手の更なる霍乱を謀ったのである。残念な事にずべての小集団が坑道を越えてくることはなかったが。
三つの季節がすぎた頃、真迫は身軽になっていた。
庇わなければならなかった子供達をどうにか寺に預ける事が出来たからである。そこに辿り着くの道程を詳しく述べる事はすまい。ただ彼女にとってそれは苦痛と屈辱を伴う苦難の記憶だったとだけは言っておこう。
留まるようにとかき口説く僧都や、泣いて縋る子供達を振り切って、真迫は一人旅立った。
どうしても村の様子を確かめたかったのだ。
両親は疾うになかったが、祖父母と師はあの時まだ村にいた。労働力となる村人はまだいい、だが年老いて働けず、また身体を損なって働けない祖父母や師が一体どうなってしまったのか。それを確かめずにはいられなかったのだ。
そして彼女が見たものは祖父母や師の遺骸ではなかった。だからと言って遺骨でもない。
予想外、いや想像外だったと言っていいだろう。
そこにあったものはただの村というものの残骸に過ぎなかった。
雨が降っていた。焼け落ちた建物をその雨は濡らしていた。黒く焼け焦げた村の残骸に、動く物はその雨粒しかない。
「……そんな……」
力なく歩いた真迫は師と祖父母が暮らしていた家の残骸あたりで足を止めた。
遺骨さえない。ケモノの中には骨ごと人を食い尽くすものも居る。恐らくはそれの仕業だろうと思われた。
ふらふらと残骸へと足を踏み入れるとそこが彼女の家の残骸である事を示すように見覚えのある茶碗や湯呑が目に付いた。そこは確かに真迫の家であったのだ。
何故だ?
去来する思いに、真迫は頬を濡らした。
自分達はただ生きていただけだ。この過酷な鉱山の村で日々を懸命に生きていただけなのだ。
例えばくたびれた形の子供に石を投げるような。
例えば殲鬼の仕業を装って旅人を襲うような。
例えば子供を連れた少女に一晩の宿と食事の代償として身を要求するような。
そんな浅ましい生き方はしてこなかった。
――否。
それだけだ。確かにそれだけだがそれは十分に罪だったのかもしれない。
この鉱山の村はあの日まで平穏だった。その平穏を自分達は当たり前のように享受していた。
その外で何が起っているかに、目を向けることもなく平穏の中で生きていたのだ自分達は。ある意味ではとてつもなく無知に幸福に。
外界に上がる悲鳴にも耳を傾けず、今日と同じ明日が訪れる事を無邪気に信じていた。
「……そんな馬鹿なことがあるわけないじゃないっ!」
真迫は絶叫した。
そうだ確かに自分は、自分達子供はそうだった。
だが周到に逃げ道を用意し、殲鬼に目をつけられるかもしれない危険を覚悟の上で方々から落ち延びてくる人々を受け入れていた大人たちはどうだというのだ?
思考はぐるぐると巡り続けた。
これが罰なら罪が欲しい。だが羅列できるそれは罪か? 誰の?
「っく……ああああああああっ!!!!」
その喉から、村人を魅了して止まなかった澄んだ声の絶叫が迸った。真迫は膝を落とし、焼け跡を殴りつけた。焼け落ちた家屋の残滓が雨に流れて地に黒い染みを作っている。だが構わなかった。体が汚れる事も衣服が汚れる事も構わず、真迫は絶叫と共にただ地を殴りつけていた。
その手に、それが触れたのは、どんな偶然だったのだろう。
焼け焦げた布だと思った。ふと興味を引かれて引きずると、その布は脆くもボロボロと崩れた。
布の下から現れたのは油紙に包まれた一棹の三味線。
「……あ……?」
真迫は三味線を拾い上げ、丁寧にその油紙を取り払った。その丁寧な梱包の下から現れたのは見たことのない三味線だった。
滑らかな手触りの皮、磨きたてられた棹は木目ではなく不思議な文様を描いている。奇跡的に傷一つないその三味線は美しい姿をしていた。与えられていた三味線よりも、そして逃亡の最中爪弾いたどんな三味線よりも。
紅木材。舞台用の高級三味線だった。
手元に撥はない。真迫は震える指先でその弦を弾いた。
澄んだ、美しい音がした。
雨の中、撥も無くただ指先で爪弾いただけのその音は、例え様もないほどに美しかった。
何時の間にか涙は止まっていた。真迫はその三味線を穴の開くほど見つめた。胴の後ろに銘が押されている。余程の名器でなければ、銘が刻印される事などない。
「……ざ、くろ……」
真迫はその名を呟いた。『柘榴』そこにはそう銘が押されていた。
本当にいいのかと問うて来るサムライに、真迫は薄く笑って目を閉じた。
血の匂いのするその部屋の片隅に、不気味に蠢く肉片が鎖に繋がれている。殲鬼、
未だカケラに変じては居ない――生きている殲鬼だ。
この部屋はこれまでに無数の『ラセツ』を生産してきた。だが若い、否幼いとさえ言えるかもしれない少女の志願者に、その術を施すサムライが慎重になることは無理からぬ事だった。
「構わないから、やって」
真迫は肩をはだけ、備え付けられた寝台に横たわっていた。目を閉じると浮かんでくるのは愚かに泣き叫んでいた臆病な自分だ。
罪も罰もないのだ。分かりきった答えに違う解を見つけることが出来ず身悶え愚かに泣きじゃくった。
分かりきった答えだ。悲しみを、苦しみを、悔しさを、怒りを、その向かう先を自らの中に求めたとて見つかる訳がない。
答えの分かりきった問いだ。何故、などと。
だが、それを認めるのが怖かった。その解に辿り着けば行く先は一つしかない。少なくとも自分は一つしか選べない。それが恐ろしかったのだ。
「――あんなものが居るからいけないのよ」
殲鬼。その存在。
認めてしまえば選ぶしかない。戦う、という道を。それが恐ろしかった。
人心の荒廃までもを殲鬼のせいにするほど真迫は幼くはなかった。浅ましく生きる人間は何処にも、どんな時にも居るのだろう。だが知らずに済むことは出来た筈だ、村が襲われることさえなければ。
そして、自らもまた浅ましい。
真迫は薄っすらと目を開け、部屋の片隅に立てかけられたたった一つの自らの『持ち物』を愛しげに眺めた。今は布で封印されたあの『柘榴』だ。
眼前の惨状よりも、肉親や仲間の死よりも、その衝撃より強く、その音に魅了された。その音がこの解へと、真迫を導いたのだ。
弔いも復讐も、多分二の次の目的でしかない。
ただ、
「あの音が愛しいの」
はっきりと目を開けた真迫は、サムライ向かって深く頷いた。熱病のような瞳だった。
白い肌に、刃物が一文字の傷を作った。
例えこの身が異形と成り果てたとしても。
欲しい物は一つだ。復讐も果たしたい、寺に預けた子供達に平穏を見せてやりたい。それもまた真実ではあるが、それが適わなかったとしてもただ一つだけ、
あの音が何者にも妨げられる事無く響き渡る、その時が欲しい。
それは真迫の生の欲望だった。それを認めることに死苦はなかった。
もう、愚かに泣く事はないだろう。臆病に身を縮める事もない。
生のままの欲望を浅ましいと知りつつ受け止めることの出来るようになった彼女は、もう愚かで臆病で、そして幸せな少女には戻れない。
嘘のように傷が消え去った後に、真迫の額には二本の角が浮かび出ていた。まるで決別の証であるかのように。